トーラムオンライン サイドストーリー
エルバーノ王は、ゆったりと椅子に身をもたせかけながらも、肘掛けに置かれた指は音を立てることなく一定の拍子を刻んでいた。

 何者かに占領されてしまったエルフ族の聖地、エルデンバウムの近くに現れたリュアーク・テクニスタ派の帝国、アルティメア。数日前、エルバーノ王はその内情を探るべく、この街、エル・スカーロへやって来た冒険者と、それにくっついて来たキュール族の商人娘、ペルルに調査を依頼し、アルティメアへと送り出した。
しかし、彼らの道中にあるカレ・モルトに住む月の民の長老から、集落の先にある「闇の道」付近で何か異変が発生したようだとの知らせが入り、異変に巻き込まれたと思われる冒険者たちを捜索するべく兵士を向かわせたが、何日経っても冒険者たちの安否は杳としてわからない。目の前の執務机に置かれた書類の山だけが、徐々に山積みになっていくだけであった。

 やがて拍子を刻んでいた指が止まり、エルバーノ王がカレ・モルトの方へ顔を上げた時、回廊を走って来る音が聞こえ、救援に向かった兵士の一人が駆け込んできた。弾かれたように上半身を起こし、思わず姿勢が前のめりになるのも構わず声をかける。
「おお、戻ったか!冒険者たちは⁉無事だったか?」

 だが、あわてて装束を直し跪いた兵士の言葉は、王の上半身を椅子の背もたれに押し戻した。
「はっ、それが…ルナヘンテ山をくまなく捜索致しましたが、山頂付近で激しい戦いの痕跡を発見したものの、冒険者殿も、連れのペルル殿もどこにも見当たりませず…」
「むう…戦いの痕跡は、おそらく冒険者が残したものだろうが…はたして何者と戦ったのか、無事なのか…」

 背もたれに身を預け、目を閉じようとしたエルバーノ王だが、その時、気になるものが視界の隅に入った。再び身を起こして兵士に、
「そなたの横にある小汚い塊は何だ?」

 兵士が驚いたように自分の傍らを見ると、ボロ布を丸めたような塊が落ちている。それをつまみ上げながら、 「ああ、この者は山頂で迷子になっていたようなので助けて参りました。親とはぐれて泣き通しだったのか、干からびてひどい状態でしたので…」

 兵士が襟首を持ってぶら下げたのはボロ布の塊ではなく、小さな人物だった。汚れてあちこちがほころびているものの、その服装には見覚えがある。しかし、顔は…まぶたが腫れて開かず、頬はげっそりと痩せこけ、全体的に乾燥してひびが入るほどになっている。エルバーノ王はその顔をまじまじと見つめ、確証なさげに尋ねた。
「そなた…ペルルか?」
「へ?あ、はいぃ…」
力なく答えるのを聞いて、ぶら下げていた兵士も驚いて顔を見る。
「え?ペルル殿?こ、これは!し、失礼しました‼」
あわてて丁重に下へ降ろす。ふらつきながらも下を向いて立ったペルルの様子を見て、王は質問を続けた。
「いったい何があった?一緒にいた冒険者は?」

 その言葉を聞いた途端、ペルルの涸れきった腫れぼったい目が見る見るうちに湿り気を帯び、ぺたんと座り込みながら、
「死んじゃった…見た事もない怪物に…」
とだけ言うと、しゃくりあげるように嗚咽を始めた。エルバーノ王も、ペルルを連れて来た兵士も、彼女の言葉が放った衝撃で言葉を続ける事ができない。

 とりあえず、兵士に下がるよう手で合図を送り、王はペルルが泣き止むのを待つことにした…
 数刻後。エルバーノ王の前には、こぎれいになったペルルがいた。食べ物と水分を十分に与えられ着替えを済ませても、一向にいつもの様子に戻らないペルルを労わりながら、王はルナヘンテ山での信じがたい出来事を聞き出し、何とか把握しようとしている。
「ふむ…冒険者は怪物に深手を負わされ、倒れてしまったのだな?」

 ペルルは両膝を抱えて座ったまま、ぼそぼそと口を開く。
「ん…で、怪物が倒れたあいつに爪を振り下ろそうとしたら、どこからか光の矢が飛んできて…怪物が串刺しになったと思ったら、そのまま吹っ飛んで壁の向こうへ落ちてったの…」
それを聞いたエルバーノ王は俯き、右手を自身の顎に当てながら、
「むう、巨大な怪物を一撃で射抜く光の矢とは…人間業と思えんが、誰が放ったのか…とにかくそれで怪物はいなくなったから、そなたは冒険者のもとへ駆け寄ったと…彼の者に息はあったか?」

 その時の事を思い出したのか、ペルルは小さく丸まった身体をさらに小さくしながら、
「わかんない…いくら声をかけても、あいつ、ピクリとも動かなかったし…どうしていいかわかんなくなって泣いてたら、急にあいつの身体が光り出して…」
「何?」
現実離れした内容に王はペルルの方へ向き直った。ペルルはそのままの姿勢で言葉を続ける。
「…そのまま宙に浮いたかと思ったら、いきなり強く光ってそのまま消えちゃったの…」

 王は再度俯き、右手を顎に当てながら、昔読んだ文献に書かれた奇跡に関する記述を思い出した。奇跡が起こる際、そこには光があり、その光のほとんどは神の加護の証である。光に包まれて消えたと言う事は、神の手でどこかに庇護されているのではないか。冒険者がかなりの痛手を被った事は間違いないだろうが、死んでしまったと考えるのは早計かも知れない…王は、ペルルにその事を告げようとして、直前で思いとどまった。神の加護の光と言うのは、あくまでも昔の文献の中の話だ。冒険者が確実に生きていると言う証にはならず、ペルルをぬか喜びさせて後で失望させる事にもなりかねない。小さく丸まって左右に体を揺らしているペルルを慰め、安心させてやりたい衝動にかられながら、エルバーノ王はそれを我慢した…
「ペルルよ、少しは外に出てみてはどうだ?そのままではそなた自身にカビが生えるぞ?」

 エルバーノ王は部屋の隅で転がっているペルルに声をかけた。エル・スカーロに戻ってから数日経つが、ペルルはいまだに魂が抜けたような状態でボーっとしたまま、ほとんど動かない。
「冒険者との旅は息つく間もない冒険の連続だったろうから、そこからいきなり解放されて腑抜けるのはしかたなかろうが、ずっとそのままというわけにもいくまい。自身に何か刺激を…」

 王がそう言いかけた時、広間へ入ってきた衛兵が大股で王のもとへ進んできて跪いた。
「申し上げます。街の住人であるフィレーシアなる者が、王のお力をお借りしたいと嘆願にやって来ておりますが、いかがいたしましょう?」
「一般的なもめ事は衛兵に解決を要請する決まり…街の住人なら知らぬはずはあるまい。にもかかわらず、衛兵ではなく私の力を借りたいとは穏やかではないな…よかろう、これへ連れて参れ。」

 衛兵は一礼して広間を出て行き、しばらくして一人の女性を連れて戻って来た。
「私、街に住まい致しますアルナ家のフィレーシアと申します…」
素朴だが高級な布で作られた服と縦ロールした銀髪が育ちの良さを窺わせ、眼鏡が知的な印象を与えるエルフ族の女性は、広間に入るなりエルバーノ王へ丁寧な一礼をして口を開いた。
「エルバーノ王におかれましては、ご機嫌麗しゅうお過ごしの事と御慶び申し上げます。わたくしごときのお願いで王のお手を煩わせるなど、あまりにおこがましいとは存じますが…」
「構わぬ。何があった?申してみよ。」
嘆願の内容のみを聞くべく、王は儀礼的な前口上を遮った。フィレーシアもそれに気づき、
「ありがたき幸せ。実は最近、わたくしの周辺で不可解な現象が頻発しておりまして…家具が勝手に動いたり、屋敷の者が突然昏倒して苦しみ出したりと、常識では考えられぬ事ばかり起こるものですから、魔法だけでなく、様々な法術、呪術の第一人者たるエルバーノ王におすがりしに参った次第でございます。」
「なるほど、そなたの願いはわかった。何とかしようにも、不可思議現象の詳細を調査せねば方策は立てられんが…私も他に執務があり、直接調査に赴くのは難しい。どうしたものか…」
王は右手を顎に当てて考え込み、ふと顔を上げた。その視線の先には広間の隅で呆けているペルルが。ふいに顎から手を放して大股で彼女に近づき、かがんでその顔を覗き込む。
「ペルル、ペルルよ!すまんが頼まれてくれぬか⁉」

 王の予想もしない大きな声に、
「へ、ふぇっ?な、何?」

 腑抜けていたペルルもさすがに顔を上げる。王はなおもペルルの顔を覗き込んだまま、
「今から、このフィレーシアの家へ行き、どのような不可思議現象が起こっているのかを調査して来てほしいのだ。もし、手に負えるようなら、そのまま解決してくれても構わんぞ。何せ、そなたも先日まで、あの冒険者と様々な冒険をかいくぐって来た人物なのだからな!」
「冒険者」と言う言葉を聞いて、ペルルの顔が少し歪む。
「だから…かいかぶり過ぎだって。あいつがいろんなことを解決してただけであって、あたいはな~んにもしちゃいないの…それに、あたいはまだな~んもやる気が起きないんだってば…」
それだけ言うとゴロッと床に寝転がる。それを見て王の顔に微笑みが浮かぶ。かがめていた身体を起こして、フィレーシアに向き直り、
「フィレーシア、そなたはアルナ家の者だったな?下世話な話で申し訳ないが、貴族は最近資産が目減りしている家が多いとも聞く。アルナ家はどうだ?」
フィレーシアは一瞬不可解そうな顔をしたが、ペルルが寝転がったまま聞き耳を立てているのを見てにっこり笑い、
「ご心配、痛み入ります。ですが、我が家は荘園もございますし、そこで収穫される野菜を商ったりもしておりますゆえ、ごくわずかではではございますが、資産は増えておりますわ。今回の不可思議現象が解決しましたあかつきには、お手を煩わせたお礼として、相応の準備をさせていただく所存でございます。」

 フィレーシアの言葉をペルルがしっかり聞いたと判断したところで、エルバーノ王は寝転がっているペルルに改めて声をかけた。
「ペルルよ。もう一度頼む。フィレーシアの家の不可解現象の調査をしてほしいのだが…」
王の言葉が終わるか終らぬかのうちに、ペルルはなるだけゆっくりと起き上り、ついてもいない埃を払うふりをしながらおもむろに口を開いた。
「王様のご厚情でここに置いてもらってるんだから、行かないわけにはいかないわよね。いいわよ、調査に行ったげる。けど、あたい冒険者にくっついてただけだから何にもできないわよ?」
 そっけないペルルの返事に、王は何度も満足そうにうなづく。かくして、冒険者と離ればなれになったペルルの小さな冒険譚が始まった。
「ほぇ~…あんたのお屋敷ってここなの…」

 王宮近くの広場に面した景色のいい場所に建つフィレーシアの屋敷に、ペルルの目はしばし釘づけになっていた。店舗や住宅が組み合わされてできた集合建築が多い中で、これだけの独立した邸宅を立てられるのは相当な資産家であることは間違いない。
「せせこましい家でお恥ずかしいですわ。さ、ペルル様、どうぞこちらへ」

 なかなか動こうとしないペルルを促すように、フィレーシアが声をかける。それを聞いて、ペルルは頭をかきながら、
「あのさぁ、様づけは止めてくんない?あたい、えらくも凄くもないんだから…」

 フィレーシア、キョトンとして、
「??でも、数々の危険な冒険を乗り越えていらしたのでしょう?」
ペルル、さらに頭をかきむしりながら、
「だ~か~らぁ~‼冒険をしてきたのは、あたいの連れだった冒険者で、あたいは単についてっただけなの!ここに来たのは、中で何が起こってるか調査をするためで、あたい一人じゃ怪物退治だの事件を解決するだのは無理だわよ。わかった?」

 するとその時、
「じゃあ、手伝う人間がいればできそうかい?」

 声のする方へ振り向くと、妙に軽装ないでたちの長身の青年が立っている。見覚えのあるその姿をしばらく見つめたペルルは、記憶の中から思い当たる名前を引っ張り出すのに成功した。
「あーっ!エトシュの砦にいた風来坊‼確か…バルセットだっけ?」
「ははは、覚えていてくれて光栄だ…ふむ、見たところ…君は一緒にいた冒険者君とはぐれて再会できるまで別に冒険をしてるけど、依頼の内容が手に余って困ってる…ってところかな?」

 バルセットの後半の言葉に痛いところをつかれて、一瞬ひるむペルルだが、
「大きなお世話だわよ!別にあいつがいなくたって冒険の一つや二つ…」

 強がってみるものの、どうしても語尾に勢いがなくなってしまい、下を向いてしまう。すると、バルセットはペルルの前へ来てしゃがみこみ、
「このお屋敷で起こってる不思議な出来事が解決するまで、冒険者君の代わりに手伝ってもかまわないけど、どうだい?」
と微笑みかけるのを見て、ペルルも顔を上げながら、
「えー⁉あんたがぁ?」
と嫌そうな顔をするが、その口の端には笑みがにじみ出ていた。横で二人のやり取りを見ていたフィレーシアも微笑み、
「予想外のお手伝いの方にも参加して頂けるようで何よりですわ。では、参りましょう、各々ご用心くださいましね!」

 言葉を言い終えると同時にグッと顔を引き締め、重厚な木製の扉を勢いよく開け放った。
扉が重たい音を立てて閉まり、フィレーシアを先頭に屋敷の中へ入ったペルルとバルセットは、用心深く歩を進めた。屋敷の中は、複雑な格子模様の窓で和らげられた光が差し込み、想像以上に明るい。その中を三人は、大きな音を立てぬよう進んでゆく。と、フィレーシアが静寂を破った。
「来ます!用心してください‼」
「へ、何が…」ペルルが尋ねる前に、三人の正面から蹄のような音がリズミカルに迫ってきたかと思うと、反射的に伏せた三人の上を飛び越えて行った。
「なっ、何っ⁉」ペルルが振り向くと、そこには豪華な革張りで猫足の安楽椅子がまるで猫科の動物のように向きを変えて走って来るところだった。
「い、いいい、椅子ぅ⁉」
安楽椅子は四足で豪快に床を蹴りながらペルルに向かって疾走してくる。ペルルは振り向いた状態のまま駆け出そうとして足がもつれ、その場に転んでしまった。
「ふぎゃーっ!」叫んで頭を抱える。
と、その前にバルセットが立ちふさがり、武器の短剣を抜いた。目の前に突っ込んで来た安楽椅子に短剣を突き立てた…と思った次の瞬間、椅子は右の前脚でブレーキをかけ、浮いた両後脚を素早く回転させた。弧を描いて下から上がってきた右後脚が、バルセットの顎に見事なアッパーカットを決める。バルセットはクリッと白目をむいたかと思うと、あおむけにひっくり返った。それを見て、フィレーシアが悲鳴を上げる。 「キャアッ‼バルセットさん!」
「風来坊ォッ⁉あにやってんのよぉっ‼あんたが一撃でやられてどーすんのぉっ!」
あわてて駆け寄り、バルセットの襟首をつかんで必死に揺するペルルだが、その時、その背後で、木と木が当たる重たい音がした。恐る恐る後ろを向くと、安楽椅子が床に足を踏ん張り、前脚を低くして襲いかかろうとしている。バルセットを床に下ろし、立ち上がってゆっくり安楽椅子の方へ向き直ったペルルは足を小刻みに震わせながらも、
「上等じゃない…猛獣みたいな動きをしてたって、椅子は椅子じゃん!あ、あたいだって,だてに冒険者にくっついて歩いてたわけじゃないってとこ、見せてやるわよ‼」
タンカを切って身構える。同時に安楽椅子は床を蹴って天井近くまでジャンプしたかと思うと、まっすぐペルルに向かって飛びかかってきた。
「ふぎゃーっ!やっぱ無理―っ‼」

 ペルルは後ろを振り向き逃げようとするが、またもや足をもつれさせてうつ伏せに倒れ、その背中を着地した安楽椅子の右前脚が押さえつけた。
「ぐえ!」
「ペルルさん‼」

 ペルルを助けようとしたフィレーシアは、次の瞬間、目の前で展開している光景に固まってしまった。安楽椅子は左右の前脚で押さえ込んだペルルに、背もたれを前後に動かし、やすりをかけるようにこねまわしたり、左右に振ってこすり付けたりしている。
「こ、これは…⁉」

 フィレーシアが口にした通り、安楽椅子の動きはネコが人間の手をなめたり、頭をこすり付けたりする動きそのものだった。ただし、相手は木と革でできた大きな椅子だ。背もたれをこすり付けられているペルルはたまったもんではない。
「あだっ!あだだだだ‼なんなのよ、これえ⁉ちょとおっ、見てないで助けてよぉっ!」

 安楽椅子がペルルにじゃれるのに熱中している間に、フィレーシアは安楽椅子のあちこちを見て回り、座面の裏に何か光るものが付いているのを発見した。一瞬の隙をついて、それを取り外す。